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ひとり文学部 第1回 『みずうみ』 シュトルム

第1回課題図書 『みずうみ』 テオドール・シュトルム作 岩波文庫 1953年

いきなり何の説明もなく色々書いているブログですが、一応「ひとり文学部」の説明をしておくと、このコーナーは私の今までの読書遍歴の中から、(遠い昔に読んだのでうろ覚えですが)面白かった作品をピックアップして、感想などを書こうというものです。

と言っても、夏休みの宿題等で読書感想文を課せられた中高生が私の感想・解釈に乗っかって感想文を提出するのはオススメしません。何しろ、私は中学生の頃に国語の先生から期待を込めて「読書感想文を書いて応募してみなさい」と勧められたにもかかわらず、宮沢賢治の『風の又三郎』に散々にダメ出しをして内容をこき下ろし、ついには「全く面白くない」と結論づけて、先生の意に全くそぐわない内容の地獄のような感想文を書き、大いに失望させた人間です。

まあ「感想文」と言いつつ「自分の経験と結び付けて、そこから何を学んだか書く」みたいな、純粋な「感想」以外の「お決まりの作法」が色々あるのがコンクールの世界なので、そんな決まりきった文章を書くことに一顧の価値すら見出せない自分には、そもそもコンクールなんて縁が無かったんでしょう。宮沢賢治の詩集なんかは好きなので、単に『風の又三郎』が肌に合わなかったのかなと。

それはそれとして、何でしたっけ?ああ、シュトルムの『みずうみ』ですね。これはもう本当に素晴らしい作品です。

シュトルムという人は、1800年代前半に活躍したドイツ人の作家・詩人ですが、偶然にも本職は弁護士でした。普段弁護士をやりつつ、作家業もしていたわけですが、これだけの文才があるんですから、おそらく作家の方が本当にやりたかったことなのでしょう。

私が読んだのは岩波文庫の、関泰祐さんという方が翻訳したものです。これから色々な本を読んで学んでいく若い方に注意して欲しいのですが、海外の古典の翻訳を読む場合、訳者の力量次第で読みやすさと印象が全然違ったものになるので、どの訳者が訳したものを読むかの選択は結構重要です。例えば、サン=テグジュペリの作品は様々な出版社から発売されて、色々な訳者によって翻訳されていますが、堀口大學さんの訳で読むか、最近出版された他の方の訳で読むかで、印象はかなり違うはずです。

堀口大學さんの訳文というのは、格調が高いと言いますか、こう、ゴツゴツしてて噛み切れない感じですかね。その時代の翻訳業界の大物なので、文体は高尚にして文学的な香りが強く、確かに読みこなせるようになると味わい深いのですが、逆に言うと全く読者にやさしくない、読者に歩み寄る感じが一切無い。イメージで言えばCPUがXeon(28コア56スレッド)、グラボがTITAN RTX、メモリがHyperX Predator 8GB×8の超絶スペックなのにOSはMS-DOSでユーザー・インターフェースのフレンドリーさが欠片も無い、何かしようとする度にコマンド入れねーと1ミリも動かねーぞみたいな(←全く伝わらわない例えをしてしまうコミュ障で無事死亡)。

で、何でしたっけ?ああ、シュトルムの『みずうみ』でしたね。まあとにかく、私はシュトルムに関しては関泰祐さんの訳文で読むのをお勧めします。

じゃあ簡単に作品の内容を見ていきましょうか。

 

老人

物語は、老人となった主人公ラインハルトが午後の散歩を終えて家に戻るところから始まります。ラインハルトが自室の椅子に腰を下ろし、「エリーザベト!」とささやくと、一転して少年時代の回想が始まります。

この導入部分が既に素晴らしい!「エリーザベト」という呼びかけと共に、それまでくたびれてモノクロだった世界が、一気に色彩鮮やかなで躍動感のある世界へ変わる、それがまるで目に見えるようです。そういう流れが読み手に「これから何が起こるのだろう?エリーザベトとは何者だろう?」という強い興味を掻き立てるわけですね。

 

幼な友

場面は少年の頃へ。エリーザベトという幼馴染の女の子との回想。ここは何てことない子供同士の会話に見えるかもしれませんが、実はラインハルトとエリーザベトの未来を暗示する重要な会話がなされています。

ラインハルトは、将来エリーザベトと結婚して、一緒にライオンがいるインドへ行くという話をしますが、エリーザベトは母親と一緒でなければ行けないと答えます。結局ラインハルトの強引さにエリーザベトも「一緒に行く」と答えてしまいますが、ラインハルトはその言葉を信用せず、君には勇気が無いと言います。

この会話から察するに、ラインハルトは学究的な人間で好奇心が強く、何事も即断即決で外国へも進んで出て行くようなタイプなのに対し、エリーザベトは慣習や社会規範を重んじ、ラインハルトに好意を持ちながらも、慎重で、できるだけ故郷で親族と昔ながらの生活をして一生を終えたいタイプのようです。

 

森の中

ラインハルトは高等教育を受けるために故郷を離れることに。出発前日、近くの森へ子供たちと数人の大人で遠足に行き、イチゴ探しが始まります。

ラインハルトとエリーザベトは2人だけで、ラインハルトが知っているという、森の奥のイチゴの在処を探しますが、そこにはイチゴはありませんでした。結局、2人はイチゴを見つけられず、一時は迷子になりそうになりながら、皆のところに戻ります。その間、ラインハルトは帰り道のことなど気にせず風景を楽しんでいるのに対し、エリーザベトは終始不安そうです。

ここでも、ラインハルトが自ら目的を定めて積極的に動こうとするタイプなのに対し、エリーザベトは常に受動的で変化を恐れるタイプの人間であることが示されています。

 

道のべに立つおとめごの

故郷を離れ、クリスマスイブに酒場で学生仲間と酒を飲んでいるラインハルト。バンドのジプシー娘らしき女の子を口説くなどしているところを見るに、エリーザベトに会いに故郷に戻ることもせず、都会に染まって退廃的な生活をしている様子。

しかし友人から、ラインハルトの部屋の前にクリスマスの贈り物が置いてあったと知らされる。

口説いた女の子が引き留めるのも聞かずに、すぐに自室に戻るラインハルト。そこにあったのは、やはりエリーザベトからの贈り物(焼き菓子)と手紙だった。昔と変わらず、故郷の狭い世界の出来事を伝える手紙。それはラインハルトの心に強い郷愁を呼び起こすのだった。

ところで、この手紙の中には、ラインハルトの旧友であるエーリッヒが登場し、何やらエリーザベトと接近している状況が読みとれる。

そしてまた、エリーザベトの母はこのエーリッヒを気に入ったようでもある。

ラインハルトとエリーザベト、相思相愛の二人の将来の雲行きが怪しくなり始める。

 

故郷

復活祭に久しぶりに帰省するラインハルト。エリーザベトは美しい少女に成長していた。

エリーザベトが世話をする鳥がエーリッヒから贈られたものであること、そしてエーリッヒがイムメン湖のほとりにある父の屋敷を引き継いで当主になった事実を聞いて、ショックを受けるラインハルト。かつては盤石だと思っていたものの、エーリッヒによってジワジワと侵食される二人の仲が心配になったラインハルトは、エリーザベトとの思い出を綴った詩を彼女に渡し、そして、自分には秘密にしていることがあり、2年たって故郷に戻ってきたらそれを彼女に話すと告げます。

さて、ここで「秘密」というのは、当然、求婚の意思のことでしょう。エリーザベトもそれを前提に、ラインハルトの帰りを待つことにしたようです。

ところで、ラインハルトはなぜこの時点で求婚しなかったのか。この時点でハッキリと彼女に求婚し、彼女の母親にも了解をもらえば良かったのではないかと思う人もいると思います。

しかし、ラインハルトにはそれができなかったのです。それは、エーリッヒと自分との経済的な格差と、エリーザベトの母の意向を考えてしまったからなのだと思います。

ラインハルトはまだ何の研究成果も残せていないただの学生なのに対し、エーリッヒは既に自分の屋敷を構えています。そして、エリーザベトの母はそんなお金持ちのエーリッヒをいたく気に入り、できれば結婚させたいと考えているようです。

そのような状況を察したラインハルトは、とてもその時点で求婚することができなかったのです。今はエーリッヒに太刀打ちできない、しかし、あと2年のうちに研究者としての自らの道を定めれば、何とかなるだろう、その可能性に賭けたわけですね。

 

手紙

およそ2年後、母から届く手紙を読むラインハルト。そこには、エリーザベトがエーリッヒの求婚を受け入れた事実が書かれていました。

エリーザベトはエーリッヒの求婚を2度断ったようですが、ついに3度目の求婚を断れずに受け入れたのです。

現代社会の感覚で言うと、多くの人は「なぜ?ほかに好きな人がいるのに?」と思うかもしれませんが、しかし、この物語の舞台は1800年代前半のドイツなのです。当時、女性は10代のうちに結婚するのが普通でしょうし、また、そうでなければ世間体が悪いということもあるでしょう。そうした前提に立った時、お金持ちのエーリッヒの求婚を断る理由は何もなく、また、母親もそれを強く望んだでしょうから、エリーザベトはそうした圧力に抗することができず屈してしまったのです。

畢竟、エリーザベトの母は、そうした古い価値観・社会規範を象徴する存在であり、エリーザベトはその母の価値観、因習や社会規範に閉じ込められたか弱い存在であると言えます。

そしてそのことは、既に見た通り、子供の頃の2人のやり取りの中に現れていたのです。

ラインハルトは学究的で好奇心が強く、自ら目的を定め新たな価値観に飛び込んで行く人間。それに対し、エリーザベトは何事も受動的で、変化を求めず、昔ながらの生活を穏やかに続けていきたい人間。その二人の気質・性質の差が、このようなすれ違いを生んでしまったのでした。

 

イムメン湖

数年後、ラインハルトはエーリッヒに招待されて、イムメン湖のほとりのエーリッヒの屋敷を訪れます。

本作の題名、『みずうみ』というのは、このイムメン湖のことを指しているわけです。

旧友であるラインハルトを温かく出迎えるエーリッヒ。何でもエリーザベトには内緒で招待したらしい。

旧友なのにラインハルトとエリーザベトが相思相愛であることを知らず、自分の豪勢な屋敷にラインハルトを呼び寄せて傷口に塩を2kgくらい擦り込もうとするエーリッヒ。

読み手として「こいつは本当に友達なのか?」と思わずにいられませんが、まあシュトルムが二人は小さい頃からの旧友・親友だって書いてるのでそうなんでしょう。そうなの。いやそうなんだって。

さて、そんな、全く空気が読めないなんちゃって親友の痛いエーリッヒによって、まんまと敵の本拠地に足を踏み入れてしまったラインハルト。当然、そこに待っていたのは悲惨な現実でした。

立派な屋敷の中で、何不自由なく暮らしているエリーザベトとその母親の姿。順調に事業を展開し、余裕たっぷりにタバコをふかして談笑するエーリッヒ。そんな地獄の最下層コキュートスのような環境にしばらく身を置くことになったラインハルトの悲惨さに、私は初見当時、エーリッヒに超滞空垂直落下式ブレインバスターで寝かせた後にトップロープに上って2回くらい観客にアピールしてからシューティングスタープレスをしたくなる衝動に駆られたものでした。

っていうか親友って嘘なんだろ?お願いだから嘘だって言ってよエーリッヒ!

 

母は欲りせり

さて、そんな空気の読めないなんちゃって真空友達エーリッヒの魔城にノコノコと立ち入ってしまったラインハルト。ここからが地獄の本番です。

最初は懐かしさから明るく迎えてくれたエリーザベトも、ラインハルトに対する思慕が残っているため、次第に苦しそうに。

ある日、皆でくつろいでいる場で、古い民謡をエリーザベトとラインハルトが歌い始めますが、その中に、まるで二人のことを歌ったような失恋の歌が含まれており、その切なさに耐えきれなくなったエリーザベトは黙って部屋を出て行ってしまいます。

異変を感じた真空友達エーリッヒがエリーザベトの後を追おうとしますが(そういうトコだけは空気読むのかエーリッヒ。オマエ他のトコも読めてんだろホントは。)、それをエリーザベトの母が、エリーザベトは外に用事があるのだろうと言って止めます。これは一見、エリーザベトの母が、彼女の心中を思いやって、心を落ち着けるための一人になる時間を作ってあげたともとれますが、見方を変えると、お金持ちのエーリッヒと娘の仲にヒビが入るのを未然に防いだともとれます。

前述したとおり、エリーザベトの母というのは、この時代の良識・因習・社会規範の象徴であり、その鎖によって、エリーザベトとラインハルトの仲が深まるのを阻止しようとしているのです。

その後、ラインハルトはエリーザベトの後を追って湖に行きます。そこでラインハルトは湖上に白い睡蓮の花を見つけ、その花に近づこうとするのですが、最終的には手足に水草が絡みついて来て、花に触れることができずに岸に引き返します。

この白い睡蓮の花は、当然、エリーザベトの暗喩です。エリーザベトが苦しむ姿から彼女の本心を知ったラインハルトは、今再び二人の距離を埋めようとしましたが、しかし、それは再度、水草=社会規範の鎖によって阻止されたのでした。

屋敷に戻ったラインハルトは、エーリッヒに何をしていたのか尋ねられ、睡蓮の話をします。そして、その睡蓮とどういう関係があるのかと問うエーリッヒに、自分は遠い昔、この花と親しかったのだと答えるのでした。いい加減空気読めよエーリッヒ。オマエのそういうとこだぞ。

 

エリーザベト

翌日、ラインハルトとエリーザベトは、湖のほとりを散歩して二人だけの時間を過ごします。イチゴの話や森で摘んだエーリカの話など、共通の思い出に耽った後、涙を我慢するエリーザベトに、ラインハルトは、自分たちの青春時代はどこに行ってしまったのかと問いかけるのでした。

その夜、屋敷の客室に戻ったラインハルトは、逡巡の末、誰も起きて来ないうちに屋敷を出ることを決めます。

短い置手紙を残し、早朝に屋敷を出発しようとするラインハルト。そこに、エリーザベトが現れます。彼女もまた胸の苦しさで一睡もできず、夜を明かしていたのです。

早朝の柔らかな光の中、エリーザベトはラインハルトに、自分にはわかっている、あなたはもう二度とここにいらっしゃらないのでしょう、と問います。

それに対し、ラインハルトは、もう伺いませんとだけ答えます。

これが幼馴染にして相思相愛だった二人の、最後の会話でした。

屋敷を出て進むラインハルトの前に、「大きな広々とした世界」がひらけてきます。これは、彼が進もうとしている学問の世界を表しているのでしょう。この時、ラインハルトは、かつて「未来の生活と幸福と価値とがすべてそれにかかってい」るように思えていた、とても大切なエリーザベトとの関係を全て断ち切り、残りの人生を全て学問に捧げることを誓ったのでしょう。

 

老人

舞台は再び、老人となったラインハルトの自室へ。回想は終わり、ラインハルトが研究にふける姿で、物語は幕を閉じます。

導入シーンでもわかるように、ラインハルトは研究者として社会的に成功し、ひとかどの人物になったようです。

しかし、その姿は孤独で寂しげであり、今や、エリーザベトとの美しい思い出だけが、彼の心を暖炉ように温めてくれるのでした。

 

まとめ

というわけでいかがでしたでしょうか。こうしてざっと見てみると何てことない悲恋の物語に思えるかもしれませんが、シュトルムの情景描写が素晴らしく、実際に読んでいると、どのシーンも鮮やかに、まるで目の前で起きている出来事であるかのように想像できます。

この本の素晴らしいところは、とにかく、全体が一枚の絵画のように美しい色彩で統一されているというところです。テーマとしては、新しい価値観と旧来の因習・社会規範との衝突という、幾分重いものがありますが、その描写の美しさ故、物語全体としては軽やかなのです。

最後の会話のシーン。ここは、同じ悲恋の話、例えば、アンドレ・ジッドの『狭き門』みたいな物語だと、もっと冗長になるのではないかと思いますが、シュトルムの文章というのは常に短く控え目で、それが印象派の絵画のような淡い色彩を作り上げています。「描き切らない」ことによって、受け手に想像させる部分が大きくとられているようなイメージでしょうか。

この辺のさじ加減が、シュトルムの作品を読んでいて唸らせられるところです。

以上で第1回は終わりますが、こんな長い文章を今後も書けるわけがないので、第2回があるのかは不明です。まあ気が向いたら書きます。

-住吉-

 

漫画 「暴力の都」

戸田幸宏原作、中祥人作画、1996~1999年にかけて週刊ヤングジャンプに連載。全12巻。

同性愛者のニュースキャスターである木戸重光と、プロデューサーの大浦理恵子、魚津らが、時に反発し、時に協力し合いながら、様々な社会問題に切り込んで行く姿を描く。

 

木戸は一見、視聴率のためなら何でもやる、視聴率至上主義者の冷徹な人間に見えるが、その厳しさの奥にある(通常は理解されない)優しさ・人間味によって、事件の被害者を、そして時に加害者をも立ち直らせる。ヒステリックな感情論や、表面的な同情論などに逃げず、あくまでも冷静な厳しい目線で事件の本質、人間の本質を問う姿勢が感動的。その勇敢な姿は、まるでサン=テグジュペリの『夜間飛行』の主人公、リヴィエールを想起させる。

 

女子高生コンクリート詰め殺人事件、オウム真理教事件など、世相を反映する大事件・社会問題を正面から題材にしており、当時、「自分が当事者ならどうしただろうか」「どのような解決があり得ただろうか」と、読むたびに色々な事を考えさせられた作品。

 

12巻完結ですが、後半はネタ切れなのか、マンネリ、グダグダになってしまった感もありますが、あまり世に知られていない名作だと思います。

 

作中、娘を殺されたタクシー運転手の父親が、犯人が捕まった後、木戸に問いかけます。「ねえ木戸さん、タクシーに乗って来るお客さんはみんな幸せそうな顔をしてますよ、こんな自分がみじめに思えてくるほどね・・・。でも本当は誰だって心に深い闇を抱えながら生きているんだ、そうでしょ、木戸さん。」

 

古本屋などで見つけたら、読んでみてはいかがでしょうか。特に、10代の若い人が読んで、この「後味の悪さ」「割り切れない現実」を自分なりに考えて、消化して欲しい作品です。

 

―住吉―

音楽室 Bill Evans “ALONE”

Bill Evans  “ALONE” (1968,Verve Records)

 1 Here’s That Rainy Day
 2 Time For Love
 3 Midnight Mood
 4 On A Clear Day (You Can See Forever)
 5 Never Let Me Go

 6 Two Lonely People

「苦労の末に形になったものを、僕は信用する。」~ビル・エヴァンス~

ポール・モティアン、スコット・ラファロとのトリオでジャズに変革をもたらした、ビル・エヴァンスのソロアルバム。

「僕は、『芸術は魂を豊かにするものでなければならない』という信念を持っている。その人自身も存在に気づいていなかった、『自分自身の一部』を照らし出して、教えてあげること、それこそが芸術の真の使命だ。」

エヴァンスの作品は聴きやすいので、ジャズ初心者用に推薦されることも多いのですが、そのせいで、「エヴァンスなんて初心者が聴くもの」みたいな風潮が一部にあります。

 私自身は、最初ウェストコースト・ジャズから聴き始めたので、クロード・ウィリアムソンあたりのピアニストが好きでしたが、エヴァンスに出会ってからは、自分の中の最高のピアニストは、常にエヴァンスであり続けました。

彼のピアノの音は、一見表面は整然として静謐です。しかし、自分にとっては、このアルバムの2曲目の”Time For Love”などもそうなんですが、オープンな気持ちでじっくり聴き入っていると、時折急に感情がザワついて来て、普段は忘れてしまっている昔の思い出が、一気に噴き出して来ることがあります。

 それはまさに、彼の言葉通り、「自分自身の一部」を照らし出し、「そこに『それ』がある」と教えてあげる、ということなのだと思います。

 かつて現代思想は、人間の中に無意識の領域を発見し、「人間とは、従来哲学で考えられていたような、合理的な生き物ではないのではないか。人間の中には、表面の合理的・理性的な部分の奥に、広大な無意識の領域があり、人間の本質はむしろその領域にあるのではないか。」という問題を突きつけました。

 エヴァンスの音というのは、上述したように、一見表面は美しく整っていているのですが、その奥に、無意識の領域の狂気・混沌のようなものが宿っているように感じられます。

 その、地下深くの無意識の水脈から汲み上げられてきた音が、聴き手の無意識の領域に触れて、その人が普段忘れてしまっている思い出に気づかせてくれるのだと、私は理解しています。

石巻のお店 ~観慶丸本店~

http://kankeimaru.com/

私が子供の頃は、とにかくお茶碗や湯飲み等の伝統的な和食器が大量に置いてある印象でしたが、今はデザイン性に優れた現代的な器に、オシャレな洋服も置いていて、高級セレクトショップのような雰囲気になりました。石巻ではなかなかお目にかかれない感じのお店。向かいにある”カンケイマルラボ”ではたまにイベントも開かれています。

長く石巻に住んでいる方からすると、「観慶丸なんて有名すぎて誰でも知ってます」という状態でしょうが、しばらく店を訪れていなかった方は、試しに足を運んでみては。

天文部 ステラリウムで木星を見てみましょう

小学生の頃、NASAのボイジャー2号が天王星に接近するという大イベントがあり、それがきっかけで宇宙に魅了され、学校の図書室から宇宙関連の本を借りまくって読んでいました。

その後、中学生になって(安い)天体望遠鏡を買ってもらい、色んな天体を見ていたのですが、当時は天体を探すのは非常に骨が折れる作業でした。ネットなんて無いので、天文関係の雑誌を立ち読みして、その時期どのあたりにどの星座があるのか等を頭に入れて、目的の天体がある大体の位置をつかんで地道に望遠鏡を動かすしかなかったのです。

しかし、今はとても便利になって、ネットでその日の天体の位置はすぐわかりますし、天体を自動追尾してくれる望遠鏡なんてのもお手頃な価格で手に入ったりするわけです。

まあ、そうしたものを使ってリアルに天体観測をするのも良いのですが、Stellarium(ステラリウム)という無料ソフトを使うと、観測場所や観測時間を自由に選んでバーチャルな天体観測ができます。

小学生の頃、私は授業中も宇宙のことばかり考えていて、「もし太陽以外の恒星から太陽系を見たらどんな感じだろうか」などという妄想をしていたのですが、特に何度も妄想したのが、「木星は太陽系最大の惑星だから、その衛星から木星を眺めたら、空一面が木星になるに違いない。そして巨大な大赤斑がウネウネ動いているのを見たら生きた心地がしないはずだ。」というものでした。

 

さて、先に、ステラリウムを使うと「自由」な天体観測が可能と書きましたが、これは本当にそのままで、実はこのソフトを使うことで、こうした妄想を(バーチャルですが)実際にやってみることが可能になるのです。

 

たとえば皆さんが夜空を見上げて月を見ると、「月って大きいな」と思うかもしれません。そこでステラリウムで地球から見た月を表示してみましょう。

 

こんな感じですね。「あれ?意外に小さいな」という印象なのではないでしょうか。月なんて衛星ですから所詮こんなものです(←どこから目線で言ってんだ?)。

 

じゃあ、次は木星の衛星であるメティスから木星を見てみましょう。

 

こんなの毎日地平線から昇ってきたらなんかゾワゾワして不眠症になりそう。

いや、やっぱり木星は巨大で素晴らしいですね。木星はその強い重力で、太陽系に突っ込んで来る危険な小惑星などの多くを引き受け、地球を守ってくれている存在でもありますし、太陽系の惑星の中では個人的に一番好きな星です。

ちなみに、ボイジャー2号の打ち上げは1977年8月で、既に42年以上経過していますが、いまだに地球に観測データを送り続けています。1989年の海王星への接近後は、そのまま太陽系外縁部、そして太陽系からの離脱を目指して航行中です(「星間空間ミッション」と呼ばれる)。

2018年には太陽圏(ヘリオスフィア)の外に。6万1000年後くらいには「オールトの雲」と呼ばれる、太陽系を外殻状に取り巻いている天体群(ただし理論上予測される天体群で、未観測。太陽系形成時の氷や岩石等が外側に弾き飛ばされたもので、長周期彗星の故郷と考えられている。)を通過する予定だとか。

 

今回も法律事務所なのに全く法律の話が出てきませんでしたが、大丈夫なんでしょうかこのブログ。

 

-住吉-

PXで買ったシャツ

 

 

田舎の中学生・高校生もいっぱしに異性の目を気にしだした時に困ることのひとつが、「オシャレな服を売っている店が少ない」ということである。

私が学生の頃も、それなりの服を買うとなると仙台まで遠征していた人が多いように思うが、当時の石巻にはPaul Smithがあったし、J.PRESSを置いていたボストニアンクラブなど、一応それなりのお店がそろっていた。

そうした、数少ない店のひとつが、かつて旧観慶丸の近く、今で言うとBARRELという洋服屋さんの向かいの建物で営業していた、PX(ピーエックス)という店だった。

もうかなり前の記憶なので曖昧だが、確かSchott のPコートとか、ジャンル的にはミリタリーアイテムを含めたアメカジがメインのセレクトショップだったと思う。「PX(米軍の基地内の売店)」という名前がつけられているくらいなので。

高校生の頃、とにかくカッコ良い服が欲しくて、昼食代を削るなどして地道に貯めたお金で、何とかPXで買い物をしたものだった。写真のマグカップは、PXの初売りで買い物をした時に、ノベルティーとしてオーナーにもらったモノで、10代からずっと使い続けているのでかなり愛着が湧いており、自分にとっては「ただの小汚いマグカップ」ではないのである、いや小汚いマグカップなのは初対面の外国人にも「小汚いマグカップ」って言われそうなくらい間違い無いんだけども。

ある日の放課後、やっと貯めたお金でコートを買おうと思ってPXに行ったことがあったのだけど、コートが置いてある店の奥にたどり着く前に、ふとあるシャツに目が留まって、そのまま釘付けになってしまった。

高校生くらいがオシャレをしようと思ったら、お金が無いので、まず着用頻度が高いアウターを買うのがセオリーなわけだけど、そのシャツを見た瞬間、アウターのことなど頭から吹き飛んでしまったのである。

それは、ブルー系のマルチストライプのボタンダウンシャツで、高級生地特有の上品な光沢があった。いや、高級生地かどうかなんて当時高校生の自分にわかるわけがなかったのだけど、様々な服を着て経験を積んだおっさんとなった今から振り返れば、あれは明らかに高番手の上質なブロード生地で作られたシャツだったとわかるのである。形も細身で美しかった。

その日は結局アウターを買わずにそのシャツを買った。高校生にとってはシャツ1枚にアウターと同じお金をかけるのはかなり痛かったが、それでも、家に帰ってそのシャツを着た時は、自分が急に大人になった気がして嬉しかった。

インターネットも無い時代。当時は服のブランドの事など知らなかったし、今となってはそのシャツはもう手元にないので確認のしようもないのだけど、もしかしたらあれは、品質的にも、価格帯的にも、アメリカのIndividualized shirtsのボタンダウンシャツだったのではないかと思っている。

残念ながら2010年頃に閉店してしまったようだけど、PXは、田舎のガキにそういう「本物」を教えてくれる、良いお店だった。

-住吉-

音楽室 Beverly Kenney ”Snuggled On Your Shoulder”

”Snuggled On Your Shoulder” Beverly Kenney 1955

1 Tea For Two
2 There Will Never Be Another You
3 The Things We Did Last Summer
4 Moe’s Blues
5 Can’t Get Out Of This Mood
6 The Surrey With The Fringe On Top
7 Snuggled On Your Shoulder
8 That’s All
9 Ball And Chain (Sweet Lorraine)
10 A Foggy Day
11 Gay Chicks

今や多くの音源はYoutubeで聴くことができるので、興味がある方は探してみてください。権利団体に収益分配される適法な動画で。

ベヴァリー・ケニーは1950年代にいくつかの作品を残した白人の女性ヴォーカリスト。少し鼻にかかったような、幼げで儚い声質と、その美貌により、メジャー・デビュー前から非常に評価が高かったようで、当時将来を嘱望された歌い手の一人だった。

ところが、いよいよ人気が高まり「これから」という時期だった1960年、彼女は自殺してしまう。

歌の才能と美貌に恵まれた彼女がなぜ自ら命を絶たなければならなかったのか、今となっては誰にもわからない。近しい人の言葉によれば、彼女は潔癖かつ物静かな人で、自分が麻薬とアルコールにまみれた当時のジャズ・シーンに身を置いていることについて、いつも悩んでいたという。

この”Snuggled On Your Shoulder”は、彼女のメジャー・デビュー前の1954年に録音されたもので、指示を受けながら歌い出しの練習をしたりする場面も収録されており、ピアノだけをバックに、とてもリラックスした、シンプルで明るく伸びやかな歌声を聴くことができる。

単純に歌の上手さで言えば他にも優れた人はたくさんいるが、彼女のフレージングには独自の才能の輝きが感じられ、愛らしい声質も相まって、個人的にかなり愛聴した作品。黒人ヴォーカリストにありがちな、技巧に走り過ぎるようなところもなく、原曲に素直な解釈でとても聴きやすい。

特に3曲目の”The Things We Did Last Summer(過ぎし夏の思い出)”は出色のデキである。

-住吉-

音楽室 ”John Coltrane & Johnny Hartman”

今日、所用で立町の商店街を歩いていたら、”John Coltrane & Johnny Hartman”が流れていました。母の自転車に乗せられて立町を行き来した子供の頃を思い出すと、いつも演歌や流行の歌謡曲しか流れてなかったんですけどね。

 

John Coltrane & Johnny Hartman(1963、Impulse! Records

1 They Say It’s Wonderful

2 Dedicated To You

3 My One And Only Love

4 Lush Life

5 You Are Too Beautiful

6 Autumn Serenade

 

フリージャズに傾倒してからのコルトレーンはどうも聴いてて疲れますが、この作品はまだフリーに突入する前の作品ですし、全曲親しみやすいスタンダードのバラードぞろい。ジャズ初心者の方も取っ付きやすいので、導入としてはオススメです。特に1曲目。

ヴォーカルのハートマン以外のメンバーは、いつものメンツ。ピアノにマッコイ・タイナー、ベースにジミー・ギャリソン、ドラムにエルヴィン・ジョーンズ。数々の名盤を産み出した、いわゆる黄金のカルテット。

コルトレーンが帝王マイルズのユニットにいた頃、マイルズはよくコルトレーンに「お前は一体なんだってそんなに(ソロの)演奏時間が長いんだ」などと言って呆れていたそうですが、コルトレーンの回答は

「僕が表現したいものを全て出し尽くすためには、それだけの演奏時間が必要なんだ」

だったそうです。

マイルズの苦虫を噛み潰したような顔が思い浮かびます。

私も書面が長すぎて何か言われたら、「私が表現したいものを全て出し尽くすには、それだけの枚数が必要なのです。」と応えることにします(←迷惑)。

―住吉-

 

かもめ法律事務所の公式サイトがオープン致しました

かもめ法律事務所のホームページにアクセスいただき、ありがとうございます。

ホームページと言いましても、法律事務所ですので、頻繁に皆様にお知らせすることなどもなく、たまに(法律と関係ないことばかり書く)ブログを更新する程度かと思いますが、よろしくお願いいたします。

仕事の依頼は、お電話をいただくか、このホームページの問い合わせフォームからご連絡ください。