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これであなたも石巻弁を自在に使いこなせる~ミジンコでもわかる石巻弁講座~

私が子供のころは、石巻にもまだ、いわゆる「ずうずう弁」という東北地方の方言を使うお年寄りがいっぱいいて、子供も自然とそういう言葉に親しめる環境があったのですが、最近はとんとずうずう弁を聞かなくなりました。若い子の会話を聞いていると、普通に標準語で話していたりします。

 

石巻でいつ頃から標準語を話す人が増えたのかとちょっと思い返してみると、私が中学生や高校生の頃にトレンディードラマが流行して、そうした東京が舞台のドラマなどにどっぷり浸かった世代からは、もうほぼほぼ、ずうずう弁のような方言は出なくなったかなぁという感じがします。情報の流通性が高まり、日本全体が均質化していく一端を垣間見るような気がして、便利になったと感じることもあれば、方言を使っていたお年寄り達のことが懐かしく思い出され、ちょっと残念に思うところもあります。

 

震災後にはボランティアなどで県外から来られて、新たに石巻に住むようになった方も大勢いるでしょうし、食堂などで関西弁など他の地域の方言を耳にすることも増えてきた気がします。それはそれで趣(おもむき)、味があるのですが。

 

そこで、昔のことが思い出されるお盆時期ということもあり、今回は生まれも育ちも石巻という、爪先から頭のてっぺんまでどっぷり石巻に汚染された私が、石巻地方で使われている方言の解説をしましょう。

 

※言葉の意味は私が小さい頃にお年寄りが話しているのを聞いて、その状況などから推測したもので、正確に言えば間違っている可能性はあります。あと、訳者の人格に一部混乱が見られます。

 

1 ごしゃがいる

使用例:おめだづ、おどなしぐしてねーどおやじにごしゃがいっと

状況から推測される意味:君たち、大人しくしてないと、お父さんに怒られるよ。

 

2 すずねー

使用例:なんだい、こどもだち朝がらすずねーごど。

状況から推測される意味:朝からうるさいんだよジャリども

 

3 あがい

使用例:隣のおくさんがらせんべいもらったがらあがいわ

状況から推測される意味:お隣の深窓のご令嬢からせんべいなる高級菓子をいただいたから食べなさい。

さらに一歩進んで命令形になると「あげ」になる。

 

4 がおる

使用例:今日はあさがらあづくて、そどで野良しごどしたらがおったやー

状況から推測される意味:今日は朝から暑かったので、屋外で作業していたら非常に疲れました

 

5 ちょす

使用例:そいづ人がらあずがってるおぎものだがらちょすなよ

状況から推測される意味:それはやんごとなき方からお預かりした時価数千万円(推定)の置物なので、いじってはいけません

 

6 ほでなす

使用例:あの人さ何言ってもほでなすでやぁ、困ったもんだでば

状況から推測される意味:あの方に何を言っても愚鈍で事態が進展せず、困ったものです

 

7 おだづ

使用例:あんだ、わだしが冷蔵庫にいれでだプリン勝手にたべだんでねーの。はっ?はらへってだがらどがしらねーしおだづなよっこの

状況から推測される意味:つかぬことをお尋ねいたしますが、あなた様は私が冷蔵庫に入れて食べるのを楽しみにしていた高級食材プリンを私に一言だに断りもせずに食してしまわれたのではないでしょうか。え?あなた様が空腹でいらしたとか私には全く関わりあいのないことでございますのよふざないでくださいましこのすっとこどっこい。

 

8 あぺとぺ

使用例:あの人いっつもあぺとぺばりかだって、なんだがわがんねっちゃ

状況から推測される意味:I can’t understand the situation because he always says things I can’t understand.

 

まとめ 上記方言の複合応用例

あのひといっつもすずねくておだってばりいでいろんなものちょしてしゃべればあぺとぺばりかだるほでなすだがらはなすどこっちががおってしまうべや。あ、んだ、そういえばおっかぁがらメロンとどいでだからあがいわ。

状況から推測される意味:あのひといっつもすずねくておだってばりいでいろんなものちょしてしゃべればあぺとぺばりかだるほでなすだがらはなすどこっちががお(略)

―住吉―

音楽室 June Christy ”My One and Only Love”

 

“June’s Got Rhythm”   1958 Capitol Records

1 Rock Me To Sleep

2 Gypsy In My Soul

3 I’m Glad There Is You

4 They Can’t Take That Away From Me

5 It Don’t Mean A Thing

6 My One And Only Love

7  When Lights Are Low

8 I Can Make You Love Me (If You Let Me)
9 Easy Living

10 Blue Moon
11 All God’s Chillun Got Rhythm

 

目の前に自分より優れた才能を持った人間が現れた場合、その才能の偉大さを素直に認めるというのは、簡単なようで難しいものである。

 

今まで自分が浴びていたスポットライトを譲り、その若者の成功を願って便宜まで図れる者は、さらに稀であろう。

 

ジューン・クリスティーは1940年代に、当時メジャーなビッグバンドのひとつであったスタン・ケントンの楽団に、アニタ・オデイの後釜として加入し、一躍人気者となった。いわゆる”ケントン・ガールズ”の一人である。

 

スタン・ケントン楽団を退団し、ソロ活動を開始した1950年代には、ジャズ・ヴォーカルの歴史全体の中でも際立って高い評価を受ける名盤”Something Cool”をリリースし、トップクラスの白人女性ヴォーカリストとしての地位を不動のものとした。

 

”Something Cool”でのクールで知的な歌唱の印象が強く残るジューンだが、夫のボブ・クーパーと作り上げた“June’s Got Rhythm”では逆に、リラックスした、伸びやかでウォームな歌唱を披露している。

 

 個人的には”Something Cool”よりも “June’s Got Rhythm”の方が好きで、結構長く愛聴した。

 

 以前、ベヴァリー・ケニーを紹介した際にも述べたが、純粋な歌の上手さで言えば、世界にはいくらでも上手い人はいる。しかし、プロとして成功し、人々の記憶に長く爪痕を残せる者は少ない。

 

 ヴォーカリストとして人を惹きつけるためには、単純に、例えば何オクターブの声域を持っていれば良い、というものではないのである。説明のつかないような魅力を持つ、ほんの一握りの才能だけが、偉大な成功を収めることができる。ジャズの歴史上、ジューンはその、特別な才能を持った一人だった。

見ているとこちらも自然と笑顔になってしまうような、愛嬌のある笑顔も良い。

 

大酒飲みだったことが影響してか、まだ30代であった1960年代には既に声に衰えが見え始め、その後は目立った活躍をすることなく、第一線を退いた。

 

1990年6月(June)に死去。

 

ジューンは、スタン・ケントン楽団を去ることが決まった際、一人の才能溢れる女性ヴォーカリストを自分の後任として強く推薦した。

 

ジューンのおかげで楽団に加入したクリス・コナーは、その氷のようにクールな歌声で成功の階段を駆け上り、後に、ジューン以上の名声を得ることになった。

 

 

 

-住吉-

音楽室 ORIGINAL LOVE ”夢を見る人”

 

”夢を見る人”を収録したアルバム、”RAINBOW RACE”は、1995年にリリースされた。

 

ORIGINAL LOVEと言えば、名曲”接吻”の大ヒットで知っている人も多いかと思うが、”RAINBOW RACE”は、良い意味でも悪い意味でもORIGINAL LOVEの転換点となった作品だった。

 

と言うのも、この作品を最後に、木原龍太郎さん(キーボード)、小松秀行さん(ベース)、佐野康夫さん(ドラム)という主力メンバーが脱退し、以後の作品は、田島貴男さん(ボーカル、ギター)の個人プロジェクトのような感じで、それまでのジャジーでキャッチーな路線とは違ったものになっていったからである。

 

個人的には、初期のORIGINAL LOVE、というか田島貴男さんは、自分の音楽的嗜好に決定的な影響を与え、高校生の頃にその後にジャズを聴くようになるための素地を作ってくれた人で、いまだに「さん」を付けないとどうにもしっくり来ないような、尊敬してやまない存在である。

 

そんな、田島さんを尊敬してやまない人間なので、「田島貴男の何が良いのか」と聞かれても、「全てが最高で何もかもが良い」というのが率直なところなのだが、自分なりに思っていることを書くと、実は、田島さんの書く詩があまりにも良いのである。

「しなやかに風は 君の髪をとかし 誰も知らない場所へと 吹きぬけてく

ああ しなやかに風は 僕のなかをぬけて 誰も知らない場所へと ただ吹きぬけ 願いをかなえる」

これは”二つの手のように”の歌詞だが、聴いていると、まるで実際に目の前に夏の夕暮れの海辺が広がっているような、そんな感覚になる。

「誰も知らない場所」と言っているが、二人がいる場所は、当然二人にとってはどこなのか知っている場所であるし、この世に「誰も知らない場所」というのは基本的に無い。

 

とすると、「誰も知らない場所」とは何なのか。おそらく物理的なものではなく、二人の記憶の中ということになろうか。

 

 

これは”砂の花”という曲で、もう曲名が既に十分に詩的なのだが、「最初の恋のように 振るまえたらいい ただの奇跡さ」という歌詞が出てくる。

 

この一節で何が良いのかというと、「ただの」と「奇跡」というのは本来結び付かないものなのに、それをサラッと組み合わせてしまっている。こういう詩は、論理的に突き詰めて考えても絶対に思いつけない類のもので、もう、田島さんの天才的なセンスの発露としか言いようがない。

 

さて、それなら、”夢を見る人”はどうであろうか。

 

”RAINBOW RACE”というアルバム名を直訳すると、「虹を追いかける競争(あるいは、虹を追いかける種族・民)」という程度の意味になるのだろうが、”夢を見る人”の歌詞は、このアルバム名、つまりこの作品のテーマとつながっている。

 

現代思想的に言うと、今の社会というのは、個人の存在意義、自己同一性などといった、哲学において当たり前のものとされていたものが失われた社会である。要は、例えば、江戸時代ならどこどこ村のだれ兵衛さんは、百姓の家に生まれたなら百姓をすれば良いし、商人の家に生まれたなら商人をすれば良くて、そうすることを周囲の人間も期待したし、そうすることで社会から「自分らしさ」を与えられ、自分の存在を強く社会に定義づけし、充足感に満たされたわけである。

 

しかし、現代社会ではそれが失われた。人は「(実際はお金と才能にも影響されるが、少なくとも社会から何かを強制・期待されないという意味で)何にでもなれる、どこにでも行ける」自由を手にした代わりに、「自分らしさ」とは何なのだろうか、自分はどう生きるべきなのだろうか、という精神的な迷路に入り込んだ。社会と個人のつながりが薄れ、「自分の定義づけ」、「他者から見た自分」の発見が困難になった。

 

そのような社会において、人はどう生きるべきなのか。そこでのひとつの答えが、”RAINBOW RACE”なのである。

 

他者から存在意義を与えてもらうことができないのなら、自分で夢を追い続け、それを存在意義にするしかない。他者から期待されるものではなく、いわば「自分にとってだけ価値があるもの」を追いかけ、自己充足・自給自足するのである。

 

”夢を見る人”の歌詞を見てみよう。

 

「街に神話を忘れた僕等は探す 心は雲のようにかたちをかえる」

 

神話=社会からもたらされる定義づけが失われ、自分という個が曖昧になる。そこで、夢を追いかけ、見続けるしかなくなる。

 

「新しい物語 こころに描けば チケットなしでいい」

「出かけよう 荷物はいらない 何も教えられていない子供のように」

 

人が夢を追いかける時、それはつまり、社会の束縛から離れることを意味する。社会の庇護を捨てる代わりに、自由になる。ゆえに、社会とのつながり、経済性・交換価値の表象であるチケットも荷物も不要になる。

 

虹は、夢の象徴である。人は昔から虹を見て自らの幸運を信じ、願いを託した。そして、いつか虹をつかむことができれば、夢はかなうと。

 

しかし、それは決して実現しない。虹はどこまでどこまでも離れていく。虹を追いかける者は、ほとんどの場合、最後にはすべてを失うことになるだろう。

 

それでも人は、いつか虹をつかめると信じ、競争していく。

 

この”夢を見る人”の詩に、結末は書かれていない。ただ、夢を追おうとしている。しかし、その詩を読む我々は、その先の結末を予感する。

 

その詩は、さわやかであり、物悲しく、破滅的であり、美しい。

 

1995年に”RAINBOW RACE”がリリースされた時、東京中の大手CDショップのウインドウを、鳥の群れの中で踊る女性の写真が埋め尽くした。

 

”接吻”で高まった人気は、ここで爆発し、ORIGINAL LOVEはミスチルなどと同じような地位まで上がるはずだった。

 

しかし、この作品は、それまでのキャッチ―な路線とは明らかに異なっており、賛否両論となって、多くのライトなファン層は落胆し、サッと離れていった。

 

私も、楽しみにしていた”RAINBOW RACE”を初めて聴いた時、田島さんがどうしてこの時期にこういう作品を作ったのか理解しかねたし、ファンの1人として、ORIGINAL LOVEがミリオンセラーを連発するようなチャンスを自ら手放したことに複雑な想いを抱いた。

 

しかし、その後、何度も何度も、それこそ数百回と”RAINBOW RACE”を聴いた末に出した結論は、「この作品は紛れもなく傑作だ」という評価だった。

 

この作品が世に送り出されて、既に25年が経った。その間、多くのジャズを聴き、歴史的な名演と言われる演奏を聴いてきた。

 

それでもなお、私はたまにこのアルバムを引っ張り出してきて聴いているのである。

この、力強く、土ぼこりの匂いがする”ブロンコ”という曲から始まる作品は、あきれるほどに傑出し、形容しがたいほどに美しい。

 

-住吉-

付加価値

中瀬の公園で2時間くらいシューティング。

 

しばらく見なかったら、NBAはいつの間にかシューター全盛の時代。センターでさえも3ポイントの能力が求められる。ガードならディープ3(スリーポイント・ラインよりもさらに後方の深い位置から放たれる3ポイント)も撃てて当たり前。

 

というわけで、自分も余裕を持って3ポイントが撃てるようなフォームに改造中。

 

今はどんな職業でも、他者との差別化のため付加価値が求められる時代。

 

私も秋頃には「ただの弁護士」から「ディープ3が撃てる弁護士(3pt成功率35%)」になってると思います(←なれたとしても地獄のように付加価値ゼロ)。

👇理想像

-住吉-

音楽室 Zoot Sims ”You Go To My Head”

”ZOOT SIMS IN PARIS” Released on 1961(United Artists Records)

 

Personnel:Zoot Sims (tenor sax)、Henri Renaud (piano)、Bob Whitlock (bass)、Jean-Louis Viale (drums)

1 Zoot’s Blues

2 Spring Can Really Hang You Up The Most

3 Once In A While

4 These Foolish Things

5 On The Alamo

6 Too Close For Comfort

7 A Flat Blues

8 You Go To My Head

9 Savoy

 

若い頃は誰しも、明るい未来を夢見て、「どういうふうに生きたいか」を考えるものだろうが、ある程度の歳になると、ふと「どういうふうに死にたいか」を考えることがある。

 

ズート・シムズは主に1950年代から1960年代にかけて活躍したテナー・サックス奏者で、ベニー・グッドマンやスタン・ケントンなどのビッグバンドの一員として作品を残すとともに、自らのリーダー作で数々の名盤を世に送り出した。

 

レスター・ヤングを手本とし、ビッグバンドを主戦場にしていた奏者なので、オーソドックスな癖のない演奏スタイル。逆に言えば、激しく創造的なアドリブは少ないということであって、そこは、人によっては「古臭い」と感じるだろう。

 

個人的には、テナー特有の音の重さ・パワーに加え、その音には叙情的な「歌心」が溢れていて、大好きな奏者である。”You Go To My Head”は多くの奏者が演奏したジャズのスタンダードであるが、遥か遠い過去から響いてくるようなズートのこの音は、いつ、何度聴いても胸に迫るものがあり、傑出している。

 

同時代をウェスト・コースト・ジャズのベーシストとして生き、ズートと親交があったビル・クロウの話(村上春樹が翻訳した作品あり)では、ズートはとてつもない大酒飲みで、ベロンベロンになって最後には演奏できなくなるまで飲んだらしい。

 

そして、いつも冗談を言って豪快に笑い、誠実で、誰からも好かれる好漢だったそうだ。

 

毎晩毎晩、力いっぱいテナーを吹きまくり、飲んで、笑って、皆から愛される。ある意味、理想的な人生だったのだろう。

 

ズートは1985年に59歳で亡くなったが、晩年のこんなエピソードがある。

 

ある日、大酒飲みが祟って体を壊し、入院したズートを心配して、クロウら昔の仲間数人がズートの病室を訪れた。

 

ところが、既にズートには、自らの病室のドアを開ける力すらも残っていなかったのである。

 

クロウ達は、ガッシリとした体格で豪快に笑っていた若き日のズートを思い起こし、その痛ましい姿に言葉を失った。

 

しかし、ズートはそんな仲間の気持ちを察したのか、立ちすくむ皆に向かって、こう言って笑った。

 

「やあ、こんなに重いドアは、世界中探してもどこにも無いね」

 

昔のジャズの巨匠達には様々な常識外れのエピソードがあるものなのだが、この短いエピソードからは、クロウ達がどれほどズートという好漢を愛し、その死を悼んだかが感じ取れて、最も心に残っているもののひとつである。

 

話を冒頭に戻そう。

 

「どういうふうに死にたいか」については、人によってそれぞれ答えは違うだろうし、明確なイメージを持つのは難しいであろう。

 

ただ、それなりの時間を生き、それなりに周囲の人々の生き方・死に方を見てきた今、(酒は付き合いでしか飲まないが)自分にとっての答えは、このエピソードの中に既にあるような気がしているのである。

 

 

 

-住吉-

加齢

日曜日に甥っ子、姪っ子と中瀬のゴールでバスケをして来たんですが

 

なぜか昨日から僧帽筋と広背筋と上腕二頭筋と腹直筋と大腿四頭筋と大臀筋と右内転筋が痛いのですが今これを書きつつよく考えてみたら左内転筋も痛いです

 

小一時間考えてみましたが原因は不明です大事なことなので二回言いますが原因は不明です。

 

-住吉-

事務員日記 ショッパーズ石巻に続く昭和ノスタルジー

私が子供の時、我が家では、石巻中心部にお出かけする事を、「まちに行く」と言っていました。

「まちに行く」のメインは、もちろん川沿いにあったデパート「丸光」です。
地下食料品売場の、ソースが美味しかった白いたこ焼、生ジュース、くるくる回るカラフルなお菓子、赤と緑の格子柄巾着の甘栗太郎等々。
買い物の後で買ってもらえるのがとっても楽しみでした。

ところで、回るお菓子の謎のシステムは未だどこかにあるんでしょうか?

あと、ネットで検索したら、丸光のたこ焼を再現したお店が市内にあるみたいです。

今度行ってみよう。

 

-事務員A-

からし

子供の頃

 

「何この『からし』ってヤツ。こんなの絶対いらんわ!今すぐこの世から無くなっても何も困らん!生きるために必要なものランキングの下から4番目くらい!」

 

現在

 

「からし付けるとトンカツもおでんもうまっ!考えたヤツ天才だしトンカツとかに合うって気づいたヤツ怪童!むしろこれがないとトンカツ食えないし全面的に依存させていただいて一緒にお布団でお昼寝したいレベル!冷蔵庫に5本ないし6本常備しないと夜しか眠れない!」

 

結論

 

(味覚が)立派なおっさんになりました

 

-住吉-

事務員日記 旬のタケノコを頂きました

旬のタケノコを頂きました。

緑のツンツンが可愛いらしい。

 

 

 

このいくえにも巻かれた皮を見よ

 

 

 

タケさんがタケノコちゃんをいかに大事に大切にしていたのかわかりますね。
ジーン…

 

それはそれとして、チャッチャッと調理して食べました。

 

柔らかくてとても美味しかったです。

 

-事務員A-

石巻のお店 ショッパーズ石巻

石巻のお店と言っても、今回は「過去の」石巻のお店。

 

事務員さんと会話している際にひょんな事から話題になったのですが、石巻にずっと住んでいる人なら、昔、確か大街道の貨物列車の高架のあるところ辺りに、ショッパーズ石巻というスーパーがあったことを覚えているのではないでしょうか。

 

大分小さい頃の思い出なのでうろ覚えになっているのですが、週末になるとセスナだかバルーンだかを飛ばして

 

「太陽と緑のショッピングセンター

 ショッパーズ石巻

 ショッパーズ石巻

 ショッパーズ石巻では、豊かな暮らしのお手伝い

 お買い物なら何でもそろう

 ショッパーズ石巻

 ショッパーズ石巻

 ショッパーズ石巻へどうぞ」

 

と、この短い文章の中でトラウマになりそうなほどショッパーズ石巻を連呼する上それを延々とリピートして実際は何でもそろわないのですが、昨今のお店では考えられないくらい宣伝費用使ってたのじゃないかと。年表を見るとオイルショックなどあって景気がそんなに良かったのか謎なんですが。

 

なんにせよ、あの頃の石巻は、子供の目から見ても勢いがあったというか。今の石巻とはまるで別物な感じがしますね。

 

今の石巻のお店も、ドローンか何かでああいう宣伝したら、ちょっとは活気が出るかもしれませんね。でも、騒音だって苦情言われちゃうかな、今の世の中では。

 

-住吉-